大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

朝日簡易裁判所 昭和44年(ろ)5号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、富山県下新川郡入善町役場民生課衛生係長として、同町の営む、じん芥焼却場に就労する労働者の指揮監督にあたつているものであるが、昭和四四年四月七日、同町入膳字板島所在の入善町営じん芥焼却場において、労働者柏原ハナほか一名を使用して、じん芥焼却作業を行なうにあたり、法定の除外事由がないのに、転落のおそれがあるじん芥投入口に転落防止に必要な柵を設けず、もつて危害防止のために必要な措置を講じなかつたものである。

というにある。

よつて審理、判断するに、

一、被告人の当公判廷における供述

一、被告人の司法警察員の職務を行う労働基準監督官(以下単に監督官と略称する)に対する供述調書二通

一、被告人の検察官に対する供述調書

一、監督官永井甚司作成の実況見分調書

一、林捨次、柏原ミツエ、永田じゆん、松倉義雄、坂東賢、若島友衛の監督官に対する各供述調書

一、昭和四四年一二月二四日施行の当裁判所の検証調書

一、証人松倉義雄、同加藤英一、同伊原健二に対する当裁判所の各尋問調書

一、証人酒井清邦、同寺崎清作の当公判廷における各供述

一、入善町課設置条例、同町処務規程、同町役場組識規則、同町財務規則各写四通

一、民生課事務分担表写

を綜合すると、検察官主張の昭和四四年四月七日現在において、

(イ)  被告人は、入善町役場民生課衛生係長として、課長の補佐的存在において、本件じん芥焼却場(以下単に焼却場と略称する)に就労する労働者の指揮監督にあたつていたこと。

(ロ)  右焼却場の焼却炉上にある二ケ所のじん芥落下投入口の存在。

(ハ)  右各投入口附近において、労働安全衛生規則(以下単に安全規則と略称する)一三四条の二本文所定の丈夫な柵等を設けてなかつた事実および同条ただし書により労働者に命綱を使用させる等転落による危害を防止するための必要な措置を講じていなかつた事実

などが認められる。

そこで本件公訴事実の要旨は、被告人は使用者として、本件焼却場の、主として建設物の欠陥により、二次的に発生する転落防止のために必要な措置を講じなかつたというにある。

そこで本件焼却炉を、俗にバッチ炉といい、名和式ドストル型(階段式)になつていて、じん芥投入口附近には、設計当初から、安全規則一三四条の二所定の柵を設けられていないのであるが、若し柵を設けるとすれば、それがため作業能率の低下するものと認められるが、それよりも最も重要なことは、右規則のとおり危害防止を講ずるの必要あることは当然のことである。若し、人命を尊重しながら、作業能率を向上させるにはベルトコンベヤを使用するとか、科学的に機械力を使用するよう改善すべきであると考えられるが、現在の型式による焼却場においては、(1)これまでに人身事故の殆んど皆無の状態であつたこと。(2)安全規則実施について、行政指導が不徹底であつたこと。(3)設計自体においても、この種焼却場の構造上、右規則所定の施設が全般的に充たされていなかつたことが認められる。

本件焼却場に右(1)、(2)、(3)の事由が存在する理由をもつて、本件犯罪の情状に影響するかどうかの判断を一応省略するが、本件は、労働基準法(以下単に労基法と略称する)一〇条所定の「使用者」に被告人が該当するものかどうかにあるものと解し、この点を仔細に検討する。

先づ、地方公共団体である入善町が経営する本件じん芥焼却の事業は、労基法八条一五号に該当するから、被告人は、地方公務員の身分を保有しながら、右事業に従事する限り、地方公務員法五七条の特例により、労基法一〇条の適用を受けることになるが、同条は、「この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業のために行為をするすべての者をいう」と規定している。

してみると、右一〇条所定の使用者とは、労基法各条の義務についての履行の責任者をいうものであつて、その認定は、課長、係長等の形式にとらわれず、各事業において、同法各条の義務について実質的に一定の権限を与えられ、責任を有しているか否かによるが、そのような権限を与えられておらず、単に上司に進言し、上司の命令を伝達するに過ぎない場合は、使用者とみなされない相対的なものであると解する。

そうすると、公法人である入善町において要するすべての経費は、予算として計上し、町議会の議決を得て支出するものであることは公知の事実であるが、入善町においては、入善町財務規則(昭和四三年四月一日入善町規則五号)第五条により、町長は助役および各課等の長へその権限の一部委任事項として、町経費の支出負担行為および支出命令権を委任してあるが、その工事請負費については、助役には二〇万円、企画財政課長には五万円、各課等の長には二万円までを認めている。また予算の編成については、右規則六条により、町長は、毎会計年度、その編成方針を定め、各課等の長に通知するものとし、同規則七条により、各課等の長は、毎会計年度、予算編成方針に基づき、企画財政課長の定めるところにより、その所掌に係る予算について見積書を作成し、これを企画財政課長に提出することになつており、一方入善町役場組織規則(昭和四二年七月二六日規則五号)一六条、一八条によれば、各課に課長をおき、課長は、上司の命を受け、その課の事務を掌握し、所属職員を指揮監督するものとし、各課の係に係長を置き、係長は、上司の命を受け、係の事務を処理するものであることは、証拠調の結果によつても明らかである。

そもそも本件発覚の端緒は、昭和四四年四月七日午前一〇時一〇分ころ、本件焼却場において就労中の労務者柏原ハナが、じん芥落下投入口から焼却炉の中へ転落死亡したためであるが、これが事故死のあつて間もない四月一一日に、入善町長米沢甚吾の緊急命令により、検察官主張の、安全規則一三四条の二所定の必要な措置として、じん芥投入口二ケ所附近において、金二万二、〇〇〇円の町経費を投じて鉄柵を設けられたことが認められる。

以上の次第で、入善町においては、前掲入善町制定の諸規則に基づいてみても、本件事業の経営担当者と認め得る者は、実質的権限を有する民生課長以上の者であつて、被告人は、担当課長の補佐的存在にあり、上司の指揮を仰ぎ、その命令を得て遂行すべき職務権限を包蔵する一介の係長に過ぎないもので、上司をさしおいて、町営造物の修理、命綱購入などの権限を有しないことが認められるから、これに対し本件必要な措置を講ずることの現実不可能なことは、証人寺崎清作、証人伊原健二の証言を俟つまでもなく、社会の念通からしても、容易に認め得ることである。

このように、自己の責任において、町の経費を支出する実質的権限欠如の被告人に対し、必然経費の支出を伴う建設物の構造上必要な措置を講ずべきことを求めるは、難きを求めるものといわねばならない。また事実上こうした状態の下に、現実必要な措置を講じてなかつたからとて、それに対し、刑事責任を問うことは、妥当性を欠き不自然である。

尤も労基法一〇条所定の「労働者に関する事項」には、人事、給与、労務管理など労働条件の決定や、或は業務命令の発出、具体的な指揮監督を行うこと等すべてこれに含まれるものと解されるから、検察官主張のとおり、被告人は、本件焼却場において、就労する労務者の指揮監督にあたつていた事実を認めることができるが、前叙のとおり、町の経費支出の権限を有しない被告人に対し、労基法一〇条により、本件公訴事実に適用しようとする同法四三条、四五条、安全規則一三四条の二所定の「使用者」に被告人は該当するものとは解されない。なお、本件訴因に対する罰条は、労基法四二条を適用すべきでなく、建設物に関するものであるから、同法四三条を適用すべきものと判断した。

結局、労基法一〇条の使用者は、具体的事実に、自己の責任をもつて支配し得る実質的権限を有しない事項について、事業主のために行為した自然人であると解せざるを得ないから、被告人は、右使用者に該当するものとは解されない。

従つて本件公訴事実は、構成要件に該当せず、犯罪が成立しないことに帰着するので、刑訴法三三六条前段により、被告人に対し、無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例